去年9月29日早朝に知らせを受けたから
きっと、君はその前日に倒れたのだろう。
小学生時代の友人が亡くなって、1年経った。
嘘だ嘘だと思いながら、いや願いながら参列したが
遺体と呼ばれる姿になった友人を見て、現実を受け入れた。
空気の音が聞こえそうなほど、静かな日だった。
ストレッチャーに乗せられ、火葬窯に入るその瞬間を
読経の響く中、ガラス越しに見送った。
「最後のお別れです・・・」
そんなこと、言われなくたって分かっている。
葬儀屋さん、そんなこと言わないで。
十分すぎるほど、分かっているから。
窯の扉が閉まる最後の最後まで、
目を凝らして、友人の眠る柩を見ていた。
閉まった瞬間、感じたあの虚無感は
祖父祖母が亡くなった時とは、また異なるものだった。
死んでしまうなんて思わないから、友人とも気軽に会うし
毎日を普通に過ごしているのだが、人生観が変わった。
それまでに「あわや」という出来事もいくつかあったし。
この話を久々に会った、苦楽を共にした、
数少ない中高時代の友人にしたところ
その日の別れ際に「・・・死んだりしないでよね」と真顔で言われた。
「そんなわけないじゃん!」と笑いながら言ったものの
「・・・あなたもね」と、こっちも真顔になって言った。
お花もお線香も、あげることは出来ない。
あげたいけど、あげたら何だか寂しいような気もする。
勝手だけど、運動会で大活躍していたことや
一緒に授業中ふざけあったことを思い出して命日を過ごすよ。
悲しんでばかりはいられない、友人の分まで生きよう。
そう誓った同級生たちとも、連絡また取らなくては。