正式にバイトを辞職した。
司書課程の授業の内容によっては、続行することも考えてたたけど
土曜日授業あるし、週1の休みにフルのバイトを入れると
休みが一日もなくなる・・・というのはきついという判断で。
約11ヶ月、入社するはずの店舗での長い研修。
結局修理等、実技に関するものは身に付くことはなかった。
まだ入社する気だった時は、それがネックで苦しくて苦しくて
何で出来ないのか分からなくて本当に苦しくて、深刻に悩んだ。
1年は勤続しなきゃだめだよね・・・
さくっと結婚して、専業主婦になろうかな・・・
でもそれじゃ、働いて経済的自立するって夢は?
本当にこれでよかったの・・・妥協したんじゃないの?
「妥協」
それは私にとって、してはならないものだった。
中学受験妥協、高校はそのまま、大学も妥協で入った。
道を間違っていたわけではないが、怠けていた部分はあった。
だから、就職は絶対納得したところに入る!って決めたのにもかかわらず
厳しいといわれる新卒採用で、いかに早く決めるかに固執してしまい
去年の4月に、今のところに内定を貰って舞い上がっていたのだ。
決まったときは嬉しかった。
でも、就職活動の中で出来た仲間が最後まで頑張って、
第一志望の企業に内定を貰う様子を見ていると
「自分は本当にこれでよかったのだろうか」と考えることが多くなった。
就職ジャーナルにあった「成功した先輩&失敗した先輩」特集。
自分のことが書かれてるようで、目をそむけてしまった。
「そんなことない、私は正しい道を選んだの!」
自分の選んだ道を、ただただ信じたくて、我武者羅になっていた。
そんなことしてたら、ほら、限界がやってきた。
1月中旬、何気なく母親にバイトの話をした。
「技術が覚えられないんだ・・・早く覚えようと思って入ったのに。」
「1年頑張ってお金ためて・・・他の道考えようかな」
そんな言葉を零していたら、母は言った。
「だったら、やめてもいいんだよ」母は不器用な私を、それはそれは心配していたのだ。
「もっと活動したら?」という助言も頑なに拒んだのに。
一度決まったことは絶対に覆せない。
何に対してもそう思い込む癖のある私を、その一言が救った。
父親はなんていうかと、少し身構えていたら
「お前不器用なのに、ここまで良く頑張ったな。
パパと同じ職種で、同じ事をしてくれたのはとても嬉しかったよ。」自分で言うのも何だけど、この両親の娘に生まれたことを
こんなにも幸せだと思ったことは、これが初めてだった。
自分に合う仕事をしよう。
そう考えて調べた結果、今の大学を受験することに。
面接で必死にアピールして、めでたくやる気を買っていただき
今に至るというわけ。
実はね、本当の決定打は別にあるんだ。
店長もスタッフの皆さんも、社会人になってからの夢持ってたの。
お昼休みとか、閉店してからよく話を聞かせてもらったんだけど
ふと自分の夢は何かと考えたら、何もなかったんだよね。
社会人になったら夢はもう終わりだと思ってたの。
でも実際に夢を持っている社会人に出会って、それが具体的でね
振り返ってみたら、自分にはこのままじゃ何もないって思った瞬間がきっかけ。
その瞬間、すごく惨めで悲しかったんだ。
だから、勉強して一流の司書になる。
今度は妥協しない、絶対に司書になる。
明確な目標はあり、それを研ぎ澄ませて仕事して
縁あって結婚しても続けて、妊娠しておなかが大きくなっても
自分が動ける範囲まで働くんだ。
それほど、やりがいのある仕事に就きたい。就いてみせる。
PR